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鴨川ホルモー 万城目学

2008年11月07日 23:07

鴨川ホルモー


 みなさんは「ホルモー」という言葉をご存知か。
 そう、ホルモー。
 いえいえ、ホルモンではなくホルモー。「ン」はいらない。そこはぜひ「ー」と伸ばして、素直な感じで発音してもらいたい。


月刊少年エースにて渡会けいじ氏作画による漫画版が好評連載、第1巻発売中。2009年には山田孝之氏主演の映画も封切り予定。同年5月には舞台も開演と、とどまる事を知らぬホルモーワールド。


わたしはコミックス1巻が出るまで「鴨川ホルモー」という作品を知りませんでした。恥ずかしい事に。
書店で1巻を見かけた時から、内容の見えない題名と表紙の女の子が気になって仕方ありませんでした。

大木凡人
この娘


あまりに内容が分からないので、コミックスをそのまま買ってしまうのが躊躇われる。ああ、しかし内容は気になる。
折衷案として出した答えが「まずは原作を読もう」。
そして手に入れました、原作の小説。ドラマで好評を博した「鹿男あおによし」と同じ作者の方だったのですね。ドラマ、大変面白かったです。期待が盛り上がるのも仕方のない話(でもそっちも原作未読)。

表紙の女の子も「大木凡人」という名前である事が分かりました。因みに原作表紙だと芸人の光浦靖子さんにも見えます。そんな彼女の決め台詞は痛烈。

「黙れ、安部」

こいつが胸にズンっときたら、買い。
主人公は安部。名前は不明。
2浪の甲斐あり、かの京都大学に進学を果たした彼は、初見から馴れ馴れしい高村に誘われ(たという名目で)、謎のサークル・京都大学青竜会に入会する。
始めこそ山登りをしたり、バーベキューをしたり、ドライブにキャンプにとアウトドアなリクリエーション活動で大いに盛り上がっていたのだが、七月十六日、祇園祭の宵山を迎えて以降、その活動は一変する。

「誰が呼んだか宵山協定」

「ホルモー」なる謎の言葉を皮切りに、四聖獣を関した四大学の四サークル。不可解な「鬼」「式紙」といった単語。そして鬼語と称して緒先輩の口から漏れる奇怪な音。

「ぐああいっぎうえぇ」

どうしたんですか、先輩?

しかしそんなもの、安部にとってはどうでも良かった。彼にとって大切なものは、「鼻」。もとい、同回生にて同じく京都大学青竜会に所属する早良京子の存在である。彼女さえ居れば、他の一切はすべて些事にすぎなかった。
しかしやんぬるかな。早良京子は傲岸不遜で自己中心な憎き相手・芦屋とすでに交際していたのだ。


ホルモーとは競技名である。人には見えざる者・「隠(オニ)」を使役し、サークル同士10対10、オニの数にして千対千にて戦い勝敗を決める。
もちろん「オニ」などと口にされても、見えざる怪しいなにやらのことなどおいそれと信じられない。新入生達は先輩の言葉を疑い、疑念を募らせる。しかし、半年にも渡る長き鬼語の習得期間を終え、"吉田代替わりの義"を執り行う事により、遂に彼らにも新しい世界が開けた。
ここで"吉田代替わりの義"について説明する事はしない。何故ならば、それは三回生から一回生諸君及びオニたちへと奉げられた神聖な儀式であり、敬意の念を持って外部への秘匿を心に誓わせるものだからである。気になる人は買って読みなさい。作者が喜ぶ。
ともかく、女人禁制の神聖なる儀式を経て彼らは「オニ」を目にする事になる。半ば詐欺紛いの一方的な契約を結ぶ事になった一回生諸君とオニたちの共闘が漸く幕を開けたのだ。

しかし、そんなものはオニたちにとって単なる遊びでしかない。
十七条ホルモー。チームを二分する外法の条例が発動した時、彼らはペナルティーとしてオニたちの本気の戦いを垣間見る。


一方で展開される恋に嫉妬に誘惑・困惑。大学生活での青春もまた、阿部たちにとって大切なもの。
そこでの主な人物は主人公の安部であり、「鼻」の君・早良であり、恋敵の芦屋であり、痛烈なる女史・大木凡人である。
てか、いつまで大木凡人で通す気か、と怒られそうだ。
人は彼女の才をして、吉田の諸葛孔明・楠木ふみと呼ぶ。鴨川ホルモーにおいて類稀なる戦術を披露し、同じく吉田の呂布と恐れられる芦屋と共に注目される今代の名将である。
以上の4名が織り成す恋愛模様。というか、むしろ安部の空気っぷりが悲しすぎる。
空回り万歳。もてない男万歳。君に幸あれ。
そして凡ちゃんと影で呼ばれる楠木の可愛さ。誰だ大木凡人だの光浦靖子だの言う奴は。
最後まで読んで、彼女の可愛らしさ、いじらしさに気付かないものはおりはすまいよ。

 高村がさっそく、あれ? メガネはどうしたの? と訊ねた。すると、楠木ふみは、
「昨日、とても腹が立つことがあって割った」
 と低い声で答えた。それを完全に冗談だと捉え、けらけらと笑う三好兄弟と高村の隣で、俺は一人戦慄した。

なぜ阿部は戦慄したのか。それは楠木ならやりかねんという事実を知っているからだ。
その意味、知りたいならば己の目で見るといい。
物語りも後半、佳境に迫ったところでこんなこと言いだす楠木が素敵。


小説は小説として大変面白い作品でありましたが、同時に映像作品としての「鴨川ホルモー」にどうしても期待してしまう部分があります。それはオニたちの戦い。二十センチ・四等身の彼らが千という自陣営の戦力を以って激突する様を、「ホルモー!!」と叫ぶ敗者の無念と壮絶さを、刺激の多い映像情報としてこの眼に捉えてみたい。
原作小説ではホルモー戦それ自体よりも、そこに至るまでの過程と安部を取り巻く周囲の状況や思惑が重視されていたため、「手に汗握る壮絶な戦い」という興奮は正直少なかった。それでも名作といえるのは、文章媒体という形式が万城目学氏の表現に適していたためと思われる。
而して、映像作品となれば適応する表現法はまた変わってくる。言うまでもなく、集団戦闘という圧倒的迫力は映像世界でこそ映える。如何様に作ろうとそれは製作者の意図であるため視聴者側が意見を言える立場ではないが、1ファンの欲として、どうしても迫力の戦闘を望んでしまう。


なお、本作には続編という位置付けの「ホルモー六景」なる作品が存在する。
探さねば。
買ってきて読まねば。

続編に漫画版に映画にと、楽しみがたくさんあってしょうがない。
取りあえず、手に入るものから消化させて頂きます。
そちらの感想は、また、後ほど。





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